ゲシュタルト療法で気づいた、父の悲劇と母の嘆き。

わたしのこと

 

春日武彦(Google検索結果)医師の本です。

私は生育歴に問題があったことや元々神経が過敏なこともあり、

10代20代は他人には見せませんでしたが、非常に生きづらい・苦しい・しんどい日々を送っていました。

この苦しみを何とかできないもんかと、カウンセリングやセラピーを受けてみたりしましたが、結局は、

両足で踏ん張って自活ができるようになり、自分を恃みにできるようになったら、生きる自信がついてきたらしく、30歳を過ぎてきてからは少しずつ、生きるのが楽になってきました。

40代でパワハラに遭って激鬱になった時は大変でしたが、

そこを過ぎた今、50を過ぎ、とても楽になっています。

父と母を思い出にしてしまえるのは、いなくなってしまったこともありますが、その前に父にも母にも悩み苦しみがあったのだと、

父親母親としてではなく、人として見た時に、考えることがあったからです。

 

ゲシュタルト療法のエンプティチェアで知った、父と母の心の叫び。

 

ゲシュタルト療法エンプティチェア(Google検索)という心理療法があります。

 

椅子

 

どのような療法なのかは、Google検索で確認して頂くとして、

エンプティチェア療法で、父の視点になった時、母の視点になった時、気づいたことがありました。

 

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父の実母は離縁され家を出、父はその後、後妻に入った女性が産んだ優秀な異母弟二人と比べられることとなります。

 

不安

 

後妻になった女性は田舎にしてはめずらしく美人で頭の良い方でした。(私が生れてすぐに亡くなったため私はあまり覚えていないです。)

その子供ですから、見た目も良く賢い。(後年、私はこの二人の叔父にいろいろと助けられることとなります。)

後で親戚のおばさんが教えてくれたのですが、

父の実母を離縁させたのは私にとって曽祖父だった人です。そして、曽祖父と祖父(父の父)は血が繋がっていません。

曽祖父母の一人息子さんは第二次世界大戦で亡くなっています。その後家系を絶やさないようにと祖父が養子に来たわけですが、あまり仲がよろしくなく、

祖父に嫁いだ父の実母も曽祖父母は気に入らず、父が幼い頃に離縁させてしまったとのことです。

その後に後妻に入った方を曽祖父は気に入りましたが、父は長男=家督として曽祖父母が育て、後妻さんとはあまり関わらないようにさせたようです。

その後、後妻さんは男の子を二人産みますが、その二人が顔も良くて頭も良いものだから、父は非常に居心地の悪い思いをすることになります。

 

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誰も俺のことを好いてくれない。俺は一人だ。

 

椅子

 

私が発した言葉はこの言葉でした。

自分はその言葉を聞きながら、

ああ、ずいぶんと悲しい寂しい辛い思いを、父はしてきたのだなあ、と思いました。

そうして、次に母になって私が発した言葉にハッとします。

 

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私はここに来たくて来たわけではない。できてしまった子供も大嫌い。

 

椅子

 

ずいぶんと酷なことを言うなあ、と思われる方もいると思いますが、

私は同じ女として同情しました。

母は、ここに嫁ぐ時、てっきり、父の弟のどちらかと結婚できるものだと思っていたそうです。

それは直接言われました。

だから、「騙された。」と幼い頃、私はよく言われていました。

母はまあ美人ですが、残念ながら

頭のあまり良くない女性でした。

当時はまだ父の家はお金持ちでしたので(全て父が散財しました。私が生れた頃には厳しい曽祖父母は亡くなり、祖父も亡くなり祖母も亡くなり、父を諫める人はいなくなってしまったこともあり、貧乏となります。)

貧しい母方の両親は、お金のある家に嫁げるのは幸せなことだと思っていたようです。

母は奔放な女性でしたが、それなりの理由があったと思います。

私が中学生の頃、母は家を出て好きな男性の元に走りました。離婚をしたい、と父に何度も嘆願し、母方の両親もさすがに母の望みをここに来てやっと叶えてあげようと思ったようです。

20歳の時、私は家を出ましたが、その後に、離婚は成立し、母はやっとその男性と結婚できました。

 

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29歳の時でしたが、「これはもう、しゃあないことだわ。」と私は思いました。

 

椅子

 

ここで、介護の仕事をしてきて、良かったと思います。

普通のOLさんをしていたら出会えなかった方達との出会いは私に、

物事を多面的に見る・表面だけでなくその裏にある見えないことも考えることを身につけさせてくれました。

いろんな家庭劇場を見てきました。

そのおかげもあり、「自分は可哀想な生い立ちだから」といったひねくれた根性はだいぶ薄くなっていました。

 

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30歳のある時に、父に私が子供の頃に考えたことを話したら、子供がそんなことを考えていたなんて知らなかった。と言われました。

 

椅子

 

大人になっても、ずっと子供のまま、という人達はたくさんいます。

あの時、感じたのは、私は大人で、父は小さな子供だ、といった逆転です。

家を出るまで父は暴君でしたので、それはもう怖い思いをしてきました。(身体的までは行かず精神的・心理的に追いつめられて私は育ちました。)

びっくりしました。

なんだ、この人、可哀想なのはそっちだった。と思いました。

 

(でも、その後、私が東京に戻った後に、父は何度も失踪を繰り返します。最後の失踪でとうとう見つかることはなく、叔父達から「もう諦めなさい」と言われ、失踪宣告を出すこととなりました。)

私はさっさと大人になってしまいましたが、父は私が大人になったことで逆に苦しんでしまったのではないか、と思います。

しばらく罪悪感で悩みましたが、今はふっきれました。

何故なら、

誰も他人の人生を背負うことはできないから。

それは親兄弟、夫婦であっても、です。

(夫婦は別なのでは?と思う方もいるとは思いますが、夫婦は役割です。同じ道を生きていても別の個性を持っています。夫婦の境界線が上手く調和されれば良いと思いますが、その境界線がごちゃごちゃになるから、妙な『共依存』のような関係になるんじゃないかな、と独り身の私は勝手に想像します。まあ、仲が良ければそれで良いと思いますよ。)

 

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今は全てが楽です。背負ってきた荷物を降ろしてしまったから。

 

 

つまらない自分語りに付き合って頂きました。

貴重なお時間、ありがとうございました。



 

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今回もご訪問ありがとうございました。次回からは軽めに行きま~す。

 

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